遊工房について

メッセージ

O JUN

『88~90までぼくは村田弘子さんの遊工房にお世話になった。当時遊工房は絵画教室で、ぼくはそこで子供と大人の教室の講師をしていた。用あって彼女をうっかり「村田先生」と呼ぶと「先生はやめてください」と返された。それでもぼくはつい“先生”と呼んでしまうのだった。ドアを開けて靴を脱ぎ階段を上がったところが教室なのだが、ぼくはこの階段がなぜか好きで、よく腰掛けてぼんやり生徒の来るのを待っていた。そういえば、この家に外国人が出入りしているのもしばしば見かけた。聞くと、村田さんの友人の彫刻家だったり画家だったりした。彼らを自宅に滞在させ制作の場を提供しているのだった。日本ではまだ、アーティスト・イン・レジデンスという言葉が馴染みのない頃のことだ。ぼくは教室を90年の暮れでやめ、年明け早々ヨーロッパに渡った。それから5年程滞在して帰国した。久しぶりに村田さんを訪ねた。遊工房は正式にアーティスト・イン・レジデンスとして活動をされていた。教室だった二階はギャラリーに改装されていたが階段は当時のままだった。そして、二階から出迎えに出て来てくれた村田さんにぼくは階段の途中から思わず“村田先生!”と言ってしまった。彼女はすかさず、“センセイはやめてください、O JUNセンセイ!”とやり返された。』
(2008年)

トップ