遊工房について

松永 康

アート・コーディネーター

敗戦後、占領軍によって財閥解体と農地改革が行われてから、わが国では、公共的な文化政策は行政が担うものと考えられるようになった。人々は、文化活動にはできるだけ無償で参加しようと心がけるようになった。そしてわが国は、占領軍の期待どおり、個人の満足のためだけにお金を使う純粋な消費文化大国となった。
 一方、公共事業となった文化政策の中で、文化会館や美術館などの建設が次々と行われた。それらは道路や橋と同じ土木行政の一環と見なされ、その規模の大きさが競われた。小さな建物では建設業にとってのメリットがなく、議会の承認が得られなかったのである。ところが税収の減少とともに、巨大な文化施設は行政の足手まといとなり、今では行政法人化という足切りが強く推し進められている。
 こうした時代を経て、文化がようやく市民の手に戻ってきた観がある。文化というのは国家や自治体が創るものではなく、言うまでもなく市民の一人一人が自らの手で育てるものなのだ。遊工房は、そうした実践の最も先駆的な役割を担っている。
(2006年)

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